一の体得

内観共振法と母音空間法

心身解放と自在の境地を導くために考案した、ハミングと骨盤運動によるごく簡単な修練法である。日常の生活の中で簡単にでき、デスクワークで身体や頭が疲労したら、椅子に座ったまま数分行うだけで解放感が実感できると実践者達は言う。

冥想や、座禅、荒行など、東洋や日本に、今日まで受け継がれた伝統的な修練法も心身解放と自在の境地を目指したが、通常それらは日常と離れた特別な場所で特別な修行を必要とする。特別な条件のもとに体感したものを日常の現実に活かそうとしたわけであるが、衆生ではそのような修行は不可能である。従って悟りを開いた宗教者が神仏に近いところに身を置いて悟りの心を失わぬように精神を磨き、心を整えて衆生を導くリーダーの役割を果たすということであろう。
今ここで用いている「空」「一」「不動」といった言葉は、日常とかけ離れた特別な覚者のみが語り得る悟りの言葉であり、我々一般人の理解には到底届かぬ、別世界のことのように思われてきた。
しかし、日常と修行の場を分けて体得した悟りは「一」なのだろうか。いわゆる現実、二元世界と隔絶して得た悟りを衆生で活かし切ることは困難であるように思われる。修行の場と現実を分けるのもまた二元ということになろう。「一」は自然界、宇宙と一体にして二元を活かし切る有りようを云う。
いずれにしても、我々現代人は古の人と営みの形態も価値観も異なる。悟りにしても「一」にしても、現代人が理解できるように語り、体感にいたる新たな道筋を見出すことが重要である。

時代が変わり、古と今は営みの形態も価値観も一変した。科学は現象世界を分析的に見極めて、物質や事象の成り立ちを二元的に解明した。古の賢者が修行の末、体感した真理に人間の視点で挑み、現象世界を分析的に見極めたのである。真理が一つであるならば、体感の世界と現象の世界は一つに繋がり、体感の真理は現象世界に通じて物質の成り立ち、事象の生滅に通じているに違いない。科学は二元である。「一」に立てば二元は活かし切ることが可能となる。

特別な場において、過酷な修行を重ねることは私達現代人には不可能に近く非現実的である。古代の人々が想像もしなかった近代科学の分析の視点を合わせて、ごく普通に日常の生活の場で体得し、体現し得る新しい修練法が必要となる。

「内観共振法」「母音空間法」は「一」の有りようを目指して、芸術プロデューサーでもあり声学家である大野一道氏によって考案された。
聲は心と身体の有りようをそのままに映して現れるという、道や仏教にも通じる概念をもとに、聲とは何か、心とは何か、人間とは何かを求め続けて至った境地に基づく体感を元に体系化した修練法である。
洋の東西を超えて地球を一つに結び、二元の世界を完全に活かし切る「一」の世界がある。「一」は成否、善悪全てを受け容れて自然の摂理に叶う生命の循環に帰する地球人の立ち位置であると解する。

特別な場で特別なことをするのではなく、基本的に椅子に座ったままハミングと骨盤から反応する全身運動を合わせて心と身体を解放し、意識を自在にして現実の今と直結し、即、仕事や生活に反映し効果が期待できる現実的な修練法である。
椅子に座って行えるため、子供から高齢者まで、男女を問わずごく簡単に実践することができる。

次世代のリーダーを志す様々なジャンルの方が実践して、仕事や生活の向上が報告されている。内観共振法の実践により、感性が開き、集中力が高まり、解放した内面に自然界、宇宙の波動、すなわち氣が自ずと満ち、深く広く世界を捉えることができ、明確な観点と視座で現実に対応できるようになる。

通常の集中力は自ら内に集めることを云い二元だが、ここで言う集中とは内面が解放され、心と身体の中心が一点に定まって、自然界、宇宙と一体を成す有りようにおける集中であり、内面に氣が満ち来ることを云う。

レッスンや実習講座の後、内面が柔らくなって表情に現れ、視野が広くなり世界が明らかに見えるとの報告がある。(「あっ、顔が変わってる、目が大きくなってる……」などとレッスンや講座の終了後、互いに顔を見合わせている。)回を重ねて内面の解放度が深まると姿が整い、表情が豊かになり品性が漂う。

その実践に当たって

「二元」

・内観共振法、母音空間法は方法論に陥らぬことを大前提で行う。
・通常の運動は総て方法論であり、パターン化を当然のこととする。
・内観共振法は心と身体の連携による自然反応の動きであり、移ろえる現実の今と連動する内面に全身が反応して、方法論に陥らず自然であり続ける。
・同じ事をやっているように見えても、移ろえる現実の今に反応する内面と連動して、体感は常に新鮮である。

内観共振法

ハミングと骨盤運動を組み合わせて、心を放ち体を解き、意識を自在に働かせる修練法。
子供の頃のように、心と身体が連動し、意識が自在に働く人間本来の有りように返ることを目的とする。

子供の頃の動きを観察すると

・物心付かぬ幼い子供は意識が先行した動きをしない。
・現実の今に内面が反応し、さらに全身が反応して行動に移るように観察できる。意識は囚われなく自在である。

・全身反応で動く時は必ず骨盤から反応する。(赤ちゃんは必ず骨盤から寝返りをする)
・よちよち歩きは重心が足裏に沈み、骨盤が安定して全身のバランスが取れている。
・内面は放たれ、体は解放して完全に緩み、意識は現実の今に連動して自在である。

予備運動

ハミングを伴い、頸椎、脊髄を開放し、内面を緩めて本運動が円滑に進むように準備する。

本運動

宇宙を構成する「地・水・火・風・空」の五つの要素とイメージ的に一体化する修練法。
内面に共振するハミングに骨盤を中心とした全身反応の動きを合わせる。

※意識下に成立することは総てイメージであり、確かなイメージは真実となり得る。
目の前の現実も、その認識は総て脳と連動してイメージとして捉えているのだから、絶対のものではない。過去や未来を観る超能力者達も映像化したり、言葉にしたりすることは、総て脳を介したイメージであり、過去を言い当て、未来を予言したとしても絶対とは言えない。なんとなれば、今という現実から、有る立場に立って過去や未来を見るからである。つまり、立場が違えば見える物も異なることになるに違いない。

エジプトの神官など、二元的生を活きる現代人より遥かに本性的に生き、感性的に開いていたに違いない古代の人達も、異なる自然環境の内にあって文明が異なれば、透視能力のある超能力者、神官たちの見た世界も異なるものであったに違いない。
地域や民族や歴史が異なれば、過去や未来のイメージ化も異なり、従って現実も異なるということになる。

しかもその現実も人それぞれのイメージとして捉えた世界でしかない。その人の有りようが異なれば現実は変わることになる。過去も現代も未来も、そして科学も、意識と係る全ての事がイメージとして作られたものであり、絶対は存在しないことになろう。
一切は空。「空」は有りよう「一」に立つ空間性の把握であり、時空を超えて現実世界を包む融通無碍の世界、決め事の無いイメージ化以前の真実の世界であるということになろう。

十時屈伸

前後の運動

つま先が開かぬように、足を肩幅ほどに開いて立ち、全身を重力に任せて脱力し、腕の力を抜いてぶらーんとした状態で、前後につま先立ち、踵立ちを繰り返す。この時ハミングを伴って内面と屈伸運動を連動する。

左右の運動

前後運動に続いて行う。 関取の四股のように足幅をひろげて立ち(足は爪先が外開きにならぬよう平行に置く)、前後運動と同様に、脱力し、足裏が床と直角になるように内、外に膝を屈伸する。前後運動と同じくハミングと左右の屈伸を連動させる。
※実践に際し、指先から踝、膝と全身の関節が緩んでいることが重要である。進行と共に、間節の緩みは助長される。

効果

・指先から踝、膝、股関節と連動して緩み、足の筋肉がバランスよく動いて均整がとれ、太ももの筋肉が丸く整う。正しく行えば、太ももやふくらはぎが痛くなることはない。

・重心が沈み、体幹が通ってお腹に気が満ち、心身の安定感が実感できる。
・心身の安定と気の充実を反映して、深い響きの声になる。(声は心と身体の有りようをそのままに反映する)

母音空間法

母音は内面の動きを外に繋げる働きをする。五つの母音はそれぞれに方向性を持って外界と内面を結ぶ役割を有する。

声はハミングで完結する

ハミング → イ → エ → ア → オ → ウ → ハミング
・声が出るということはハミングに於いて完結する。
・子音は内面のニュアンスと連動し、母音は内面に宿る心を空間と結ぶ媒体と成り得る。特に発音時に具体的なニュアンスが乗らない日本語は、心と無限世界の戸境に現れて動かず、「一」の響きに満ちる。声は心身の解放の状態と意識関係を明確に映して現れる。従って、自らの有りようの体感把握を導く唯一の手段と成り得る。
ハミング → イ……mi
ハミング → エ……me → mie
ハミング → ア……ma → miea
ハミング → オ……mo → mieao
ハミング → ウ……mu → mieaou

上のように発音時の口の形と連動して、ハミングm → i → e → a → o → u → mとハミングに始まりiからoに発展しuを介してmハミングに戻る。

自然に発せられる「一」の音、それぞれの母音には全体と結ぶ普遍性の響きと方向性のある相対性の響きがあり、それぞれの方向性を用いて、空間との一体感を促し、内面と外界の境を解き「一」の体感「空」に至ることができる。

言葉を発するにあたって、声と発音は別々のものである。声を発することはハミングによって完結し、持続するハミングに、発音に応じて口や舌の動きが加わり言葉になる。口を閉じればまたハミングに戻る。

「一」に立つ自然な発声、発語は、声と発語器官の動きが分離して発せられる。
自然な声とは意識が先行して出す声ではなく、内面の動きに反応して自ずと出る声であり、声と言葉は癒着しない。声は出す物ではなく自ずと出る物と心うべきである。

効果

体幹が通り体の中心と心の中心が重なって下丹田が鎮もり、内面と外界の境の解けた全体性の響きと、指向性のある相対性の響きが連動して、二元と不二元を同時に満たす不動の聲の体得に至る。

内観共振法により心を放ち体を解き意識を自在にし、
母音空間法を合わせて体幹を通して丹田に充実の氣を満たし、
宇宙と一体の「空」に至ることができる。

「無限は一、一は無限」
宇宙は人の数だけ、全ての動物、一木一草、小石に至るまで、自然界に存在する総てものの数だけ存在し、同時に一つである。

体験者の声

究極のアンチエイジング法

校長先生 79才男性 大野先生が考案された内観共振法は、声の響きを良くするだけでなく、健康増進にも大変効果があり、私は3~4時間、トレーニングに励んでいます。始めてから約二年になりますが固くて動きにくかった骨盤が自在に動くようになりました。体が軽く反射神経もよくなったように感じます。知人からなんだかずいぶん若返ったねと言われます。外見も若返ったようです。これより簡単で的確なアンチエイジング法はないと思います。
姿勢がいいですねと、よく言われますが、レッスンを始めるまでは云われたことがありませんでした。傾いていた背骨が整い、体幹が通ったのだと思います。 免許の書き換えに行ったら、不思議なことに視力が上がっていました。理論的にも納得が行くので、これからもとことん続けようと思っています。

感じるという言葉の持つ意味

学校法人理事長(歯学博士餓医学博士) 70代男性 レスンを始めて5~6年になります。職業上、背中が丸くなり上体が固くなって声がかさかさして出にくかったのですが、今は驚くほど出やすくなりました。最初のレッスンで背中の筋肉が盛り上がっていますと言われました。ゴルフのために背筋を鍛えるトレーニングをしていたのです。部分的なトレーニングはしない方が好いと云うことでした。何にしろ、部分的に行うと全体のバランスが崩れるというのです。
内観共振法は単なる運動ではなく、方法論に陥らない、パターン化しないことを前提として、常に全体が反応するように行います。しかも、身体だけでなく心と身体を合わせた全体が常に連動するようにというのです。
私は歌を歌いますが、漸く内面に動く心と声が合う感覚がわかるようになりました。始めのころ「内面を意識するのですね」と言うと、「いえ、意識ではありません、感じるのです。意識を一点に留めると全体から分かたれるでしょう………」と言われ、よく解りませんでしたが、意識することと感じることの違いが判るようになりました。感じるとは空間的な感覚なのだと思います。
大野先生の内観共振法のレッスン生には企業の経営者や、大学の先生など、音楽をなさらない方も多くいらっしゃいますが、私は子供の頃からヴァイオリンを弾いていましたので、ヴァイオリンのレッスンには特に興味があります。ヨーロッパの一流大学、大学院で研鑽を積んだバリバリのヴァイオリニストが、ヴァイオリンの全く弾けない先生のレッスを受けて、ピンポイントの指摘でどんどん音質が深くなり、音楽が豊かになるのには驚きます。一言のアドバイスで奏法までも変化し、自在になってくのです。
「テクニックは不要、唯、自然か不自然化が観極まればいいのです」という大野先生の言葉に納得し、自然であることを目指そうと思います。

深い学びのある経験

ヴァイオリニスト 20代女性 内観共振法を始めてから5~6年になります。アレキサンダーテクニックなどの発声法を勉強していましたが、始めてのレッスンで、高いドの音が難なく出て驚きました。それまでとは全然違う感触でした。
心と身体の有りようと声の関係を学んできましたが、美大に進学を決めてからは内観共振法で体得した内面の空間的な感覚と絵画表現の関係性を学ばせて戴き、画面構成や色彩感覚も変化して、それを表現できるようになりました。学部150人中主席で操業でき、大学院に進学できたのも、内観共振法と母音空間法で体得でき空間把握のお陰と実感しています。
内観共振法で内面に空間的な感覚を導き、母音空間法で気を沈め、存在を深くして定まると、世界が広く色彩も鮮やかに観えます。今、平安の仮名文字のような深く柔かな線が描けるようにとの具値的な課題を戴いています。平安の人のよう情感に溢れ、深くやわらかこころで生活できるよう、二つの修練法を続けて奥深い美の世界に向おうと思っています。
自分の有りようによって世界は変わ。自分に観えている世界しか描けないということなのですね。大学院進学を期に、これからも益々精進しようと思います。

絵を描くことと「一」

女性日本画家 美大博士課程在籍 宇宙に浮かぶ地球に生まれた人間は本来、宇宙のリズムと一体である筈です。しかし今は、人は作為に活き、作的表現に疑問を抱いていないように観えます。「一」になると云う事は、本来の人間の姿に戻る事なのだと思います。

私は、風景の写生を基に日本画を描いています。自分が、何故絵を描きたいと思うのか、また何故美しいと思うのか、ずっと疑問でした。写生をする時、描きたい場所、美しいと思う場所がピンポイントであります。それが少しでもずれると、違ったものになるのです。それも不思議です。自分の中で、地球の何かに反応しているような気がします。そして「美しい」場所の絵を描いていると、自分の中がシャワーを浴びたように何かがスーと流れていく様な、浄化されていく様な感覚になります。それは目の前の自然が、自分の体に入り込み、一体となった瞬間ではないかと思います。
自然を写生していていつも思うのは、この宇宙の成り立ちです。最初に「ゆらぎ」があり、「一粒のチリからこの世の存在のすべてが始まった」のです。その事を写生をすればするほど痛感します。そして「絵を描く」と云う私の仕事の役割は、それを「絵」で伝えることだと思います。私の描く絵は「地球の肖像」であり、私は地球を紹介する、プレゼンテータ—だと思っています。
大野一道先生の「一」との出会いは、それを強く感じ始めた頃でした。「宇宙は一体であり、それぞれはそれぞれで存在する」と云う先生の思想は、私の中にピタッと入り込んできました。声楽家と云う音楽での表現方法から来る感覚は、ともすれば思考に陥ってしまう私の頭をパカッと開けてくれる。言葉にすれば当たり前で簡単ですが、それを本質的に手に入れるのは、なかなか注意を要します。その点、先生の呈する「内観共振法」は体で体感でき、とても分かりやすく、自分の体の変化で感じ取れるので非常に面白いのです。「一」になると云う事は、地球、宇宙のリズムと一体となることです。人も本来はそうである筈です。しかし今は、人は人が作った現実にとらわれている事が多いようです。「一」になると云う事は、本来の人間の姿に戻る事なのだと思います。
写生をしていて、その事を痛感します。「美しい」所は、地球が教えてくれる。私はそれを感じて描くだけなのです。その時、宇宙の一員であることを実感します。

「想い」を学べる場を頂きました。

会社経営者 43才 男性 会社の代表をしております立場から、日頃よりのストレスや体の疲れを強く感じていました。
今回、仕事を通じて先生と関わらせて頂き、その中で、内観共振法を学ぶ機会を得ました。
レッスンでは内観共振法そのものの実技の他に、御抹茶を戴き、我が国伝統の美の世界を学ばせて頂きました。暮らしの中でそれぞれを活かし、共に暮らしておられる先生の自然な暮らしぶりに驚き、また大変うらやましく思いました。「大切な物」を心をこめて「見る、触れる、使う」ことに古より脈々とつながる生命の「息吹」の継承を感じました。

実技のレッスンでは、当初、私の体がいかに固まってしまっているかを思い知ることとなりました。体力には自信があったつもりでしたが、体が柔軟性を失っていることを明確に理解しました。先生の教えは、ストレッチではありません。心と身体が常に連動していることがもとめられるところです。
まずは、骨盤をゆるゆると開放し、体の中心を正しく保つ事から始まります。骨盤が正しい位置に据えると同時に、柔軟な事が大切であると学びました。そしてそのレッスンが進む内に、徐々に体が開放され、同時に内面も解放されていくような高揚感が訪れました。新たな事に積極的に向かっていける自信のようなものといえばわかりやすいかもしれません。
疲れていた眼が大きく見開かれたような不思議なものを感じました。
意識する事無く呼吸が深くなり、体中に酸素と血が心地よく巡ります。滞っていた物が体中で一気に開放されたように感じます。
嬉しい事に、寝起きも非常によくなり、熟睡したと実感できるようになりました。

体に現われる変化とともに心に沸き上がる自信や新たなものに挑戦する前向きな好奇心にもつながっているようでなりません。仕事に置いても、プライベートに置いても、つかえていた物が、すべて潤滑に流れ出したように感じています。

本来、体が持っていた、ほとばしるようなエネルギー

会社員(事務職) 50代 女性 普段より耳鳴り、肩こり、腰の違和感などがあり、「こういう物だ」と思い込んでいましたが、大野先生の内観共振法のレッスンを受けさせて頂きましたら、体の芯から緩んでいくような未知の感覚に包まれました。

普段、どれだけ無意識に体に力が入り、偏った筋肉の使い方を自らの体に強いていたのかがよくわかりました。体内から発せられるハミングという振動と体の動きにより、外と中が繋がりながら、ゆるやかに無駄な力が抜けていきました。
例えるなら、最も自然な体のありかたに再構築されていくような感覚です。子供の頃には持っていた、体の内部からわきあがってくる疲れを知らないエネルギーのようなものを思い出しました。内観共振法によって心と身体の反応が子供の頃のように自然に返るということですが納得のいくところです。
その感覚はレッスンが進むにつれ時間とともに確かな物となり、「これは、どうしても正しく理解しこのメソッドを身につけたい」と強く感じました。
この感覚は、「西洋医学、東洋医学」といった、小さな枠にとらわれたものでは全く無いと思います。
現代人は疲れているので、「体のどこかが不調でも、こういうものだ」と考えるのはあきらかに間違いであるとも気付きました。ストレス、睡眠不足、不規則な食事、栄養の偏り等、すべて、もちろん体に良くない物ではありますが、その前に、子供の頃に持っていた疲れを感じない程の内側からほとばしるエネルギーのような「充実」があれば、前述の「疲れ」と感じる要因はそれほど危機的なものではないかもしれないとさえ感じました。
まだまだ、理解はとても未熟であり、先生のメソッドを正しく捉えられていない部分が多々あるかと思いますが、今後も、先生の考案された内観共振法、母音空間法を正しく深く理解し、精進して参りたいと思っております。
この体験は私のみに留まらず、大切な人たちにぜひとも伝えたいと心から思いました。